かつては城下町として、また京都・大阪・奈良を結ぶ交通の要衝として栄えた伏見の町。京都市の一部となった今も、どこかに城下町の雰囲気が残っている伏見を歩けば、新しい発見があるかもしれない。

伏見の町  伏見の地は、秀吉が伏見山に城をつくり、このあたり一帯を城下にしたことから、全国的に知られるようになった。日本で最初の銀座も設けられ今に地名を残している。秀吉の時代が終わるとともに、城下町としての軍事的・政治的中枢の座から退いた。このとき、伏見の町衆は、伏見城の外堀(現在の濠川)に着目して、物流の拠点として発展させていくのである。また、京都で角倉了以が開いた高瀬川が開通すると、宇治川、淀川、高瀬川とを結ぶ水運で伏見は、京都と大坂を結ぶ重要な都市として、また、東海道の宿場町として京都とは違った発展をしていくことになる。天保年間では人口4万人、町の数265カ町といわれ伏見城築城時の10倍にもなっている。とくに繁昌を極めたのは三十石船の往来と船宿の多かった京橋、南浜界隈で、寺田屋もそこに位置している。最近、伏見港公園として整備し、江戸時代当時の三十石船を建造し西高瀬川に浮かべている。これも町並みを守る運動のひとつとして行われているものである。
 伏見は「日本書紀」に「俯見」と記されたのがはじめである。その後、臥見・節見。伏水などの字が当てられた。かつて伏見の町の南には巨大な湖があった。平安時代には貴族たちの別荘がいくつも造られ、猟を楽しんだり、歌を詠んだりした遊興地だった。秀吉はそれまで巨椋池にそそいでいた宇治川を分離して、大規模な土木工事を行い、太閤堤と呼ばれる堤防をつくり、城の建築資材を運ぶための港も開いた。

桃山の由来
 大阪夏の陣のあと、3代将軍家光により、伏見城は取り壊しとなったが、このとき豊臣方の武士は大量に失業者となり農民となった。これらの人々によって城跡・大名屋敷跡の丘陵地に桃の木が栽培され、元禄時代には三万本にもなり、桃の名所となり「桃山」と呼ばれるようになった。


御香宮神社
 御香宮は伏見九郷の総鎮守府として、洛南地域でも大きな神域を誇るとともに、現在も多くの参拝者を集めている。境内に湧く御香水は「日本名水百選」のひとつで、酒造りの水と同じ水脈である。小堀遠州作と伝えられる石庭、伏見城大手門の遺構という神門、伏見城跡出土遺物展示室など、みどころがたっぷりある。伏見桃山城に向かう途中に、昔の伏見城の名残の石垣が並び、豪壮な構えの門に出合う。これが御香宮の神門である。神社の門にしてはあまりに立派なこの門は、かつての伏見城の大手門を移したものといわれ、重要文化財に指定されている。また、拝殿は桃山様式を残し、豪壮華麗な姿を今にとどめている。これも伏見城の車寄せだったと伝えられている。ここに湧出する名水は「石井の御香水」として伏見の七名水に数えられ、日本の名水百選(環境庁)に選ばれ、今もこの水を汲みに来る人がひきも切らない。

伏見奉行所跡
 1623(元和9)年、小堀遠州が初代に就任して、畿内の8国を支配した。1666(寛文6)年には、水野忠貞が就任し、伏見町と近郷8ヶ村を支配。この後、京都奉行所の管轄下に入ることもあったが、1867(慶応3)年まで存続した。桃陵団地の南に石碑がある。

源空寺  法然上人25霊場のひとつ。徳川秀忠寄進による伏見城殿舎。本尊朝日大黒天は秀吉念持仏という。二層のちょっと珍しい形の山門は、伏見城の遺構といわれており、その両脇に徳川家光によって伏見城から移された朝日大黒天や即一六躰地蔵が祀られているが、この大黒天は豊臣秀吉に天下統一の大福を授けたといわれている。

金札宮
 750(天平勝宝2)年の創建。清和天皇が天太主命の化身白菊翁の名を金札に記し奉納したといわれる。古くは伏見・久米村の産土神で、その縁起は、観阿弥作の謡曲「金札」に描かれているが、日照りで稲が枯れかけたとき、白菊の翁が白菊の露を注ぐと、そこから清水が湧き、その白菊井がこの神社の由来ともいわれる。拝殿前に、樹齢千年を越すというモチノキがある。

大黒寺
 本尊はその名の通り、全国でも珍しい大黒天。薩摩藩の祈祷所であったため、寺田屋事件で犠牲になった薩摩藩勤王党の有馬新七ら九裂士の墓や西郷隆盛が宿泊して、大久保利通と話し合いをした部屋などが残されている。

元伏見信用金庫本店
 伏見の地に生まれた、元伏見信用金庫(中央信用金庫)の旧本店は、1930(昭和5)年に完成。1908(明治41)年の第十六師団司令部本部(現在の聖母女学院)に次ぐ伏見区内で2番目の洋風建築です。創建当時は桃山御陵とともに観光名所になった。

本教寺
 庭園に豊臣秀吉遺愛と伝える牡丹が6株あるところから「牡丹寺」とも呼ばれる。1594年(文禄3)、伏見城大手門近くに創建され、のち徳川家康の側室良正院の帰依をえて、現在地へ移転された。本堂は入母屋造、千鳥破風のついた豪壮な建築で、近衛関白家の寄進といわれている。

四辻の四つ当たり
 伏見城下は東西約4km、南北約6km。東本願寺別院(伏見幼稚園)の前の通りは城下町の名残で、四つ辻の四つ当たりと呼ばれている。東西南北どこから来ても突き当たるというこの通りは、遠見遮断で城下町の町割りの特色をしめすもの。

西岸寺
 油掛地蔵。むかし門前で油売りが誤って油桶を転がしたため、残りの油を地蔵に掛けて帰ったあとに商売繁盛したと伝えるところから、油掛地蔵の名で知られ商売人に信仰が厚い。特に油業発展に御利益があるとされて参詣者が多い。境内には場所の句碑がある。

市電発祥の地
 日本初の電気鉄道(チンチン電車)は、明治28年に市内の岡崎公園一帯で開かれた博覧会への客輸送のため、明治27年に伏見(油掛通)〜京都七条間に開通した。それを記した石碑が竹田街道と油掛通の交差点北東角にあり「我国に於ける電気鉄道事業発祥の地」と刻まれている。

史蹟寺田屋
 江戸時代には旅人運搬専用の三十石船が大坂と伏見の間を往来している。寺田屋はその船を待つ客が泊まった船宿で、船が着く寺田屋浜も復元されている。幕末、京橋近くの旅籠寺田屋を定宿とし、坂本龍馬が薩摩・長州との連絡に使った。妻お龍との出会いの場所でもある。
 薩摩と長州との同盟が結ばれてすぐに幕府側の暴漢に襲われるという寺田屋事件も起こった。
●見学料:400円・10:00〜15:40

月桂冠大倉記念館
 1637(寛永14)年、創業の(株)月桂冠の酒蔵を利用した資料館で、明治時代の醸造元の帳場や江戸・明治期の古い酒造諸道具などを展示している。酒の仕込み水「伏水」を飲むことができる。
●入館料:300円・9:30〜16:30

十石船
 江戸時代に旅人を乗せて大坂と伏見を結んだ三十石船。これをかたどった十石船が疎水(月桂冠大倉記念館〜寺田屋浜〜伏見港公園の間)を巡る。
●問合せ:運行期間中 月桂冠大蔵記念館
            075-623-2056
     運行期間外 伏見観光協会
            075-622-8750

長建寺
 かつての中書島遊郭の一隅にあり、江戸中期に伏見奉行の建部政宇が創建したもの。山門は中国ふう朱塗り門で、本尊の八臂弁財天は「伏見の弁天さん」と呼ばれ、開運・財宝・良縁を求める参拝者で賑わっている。夏の弁天祭りは大阪の天神祭りのルーツといわれている。

伏見港公園 
 秀吉が伏見城築城のため宇治川の大規模な治水工事をして開いた伏見港の跡。それが港町・伏見発展の基礎となった。公園内には復元された三十石船があり、疎水に沿って、遊歩道やいこいの場所がつくられている。

三栖閘門
 伏見港公園から近い場所にある建設省の閘門(水門)で、疎水の水を宇治川に放流し、水量を調節するために設けられたもの。閘門周辺や宇治川縁は芝生や散策路があり、いこいの広場になっている。

コラム■2つあった伏見城
 秀吉が晩年に築いた伏見城、しかし、その城が2つあったということはあまり知られていない。秀吉が隠居所として築いた一つ目の城は、指月丘(京阪観月橋駅の北東あたり)にあった。しかし、3年後の慶長の大地震で崩壊、翌日から場所を木幡山に移して築城が始まった。本丸のあった桃山御陵内には茶会に使われたという、金名水、銀名水が残されている。
 一般に伏見城と呼ばれているのは、秀吉が二つ目に築いた城、それが木幡山伏見城だ。しかし、この城に入って1年あまりで生涯を閉じた。関ヶ原の戦いに勝利して、大坂城から伏見城に入城した家康は翌年より城の増築を行い、この伏見城で、京都所司代をおいたり、海外の使節とも会見し、家康の孫の家光はこの城で将軍宣下を受けている。家康の天下統一と豊臣家の滅亡により、伏見城はその役目を終わり廃城。

コラム■日本初の銀座は伏見に誕生
 大手筋と両替町通りの北西の角に銀座発祥の地の石碑が建っている。1601(慶長6)年、秀吉亡き後に伏見桃山城に入った家康は、日本最初の銀座を伏見・両替町に作り、堺より職人を招いて通用銀の鋳造を初めた。両替町や銀座通という名称は、この時代の名残りだ。


コラム■伏見にもインクラインがあった!
 琵琶湖疎水は、琵琶湖岸にある三保ヶ崎の取水口から京都市内洛東の蹴上に至り、そこから鴨東運河、鴨川運河と呼ばれる部分を経て、伏見区堀詰町で濠川に放水されるもので、明治27年に完成した。疎水と濠川を結ぶインクラインが伏見城の外濠跡に設けられ、大津〜京都〜伏見を結ぶ舟運が開かれた。またインクラインの建設に伴い蹴上と墨染に発電所が建設され、この電力が市電にも使われていた。インクラインは1948(昭和23)年まで使用された後、取り壊されたが1977(昭和52)年にレールに船を乗せた台車が復元された。

コラム■酒の町・伏見
 愛宕山や北山に降った雨は、京都の中心部を通り、桃山丘陵からの伏流水と合流し、今も豊かな水量を誇っている。伏見の総鎮守総氏神の御香宮神社には、平安時代に香りのよい水が湧き、病を治したことから、清和天皇に名を賜ったという霊水「御香水」が今も湧き、町中には「伏見七ツ井(七名水)」といわれ、石井・常磐井・春日井・白菊井・苔清水・竹中清水・田中清水という井戸があり、いくつかは現在も酒造りに使われている。
 この水にかかわって「1928(昭和3)年、伏見の練兵場を横断する鉄道の敷設を、奈良電(現近鉄)が計画した。これに対して軍部は地下軌道を主張した。これを聞いた伏見の酒造業者たちは、地下水を断ち切り、酒造用水に支障があるとして、軍部に申し入れ、地下軌道計画の変更をさせることに成功した」という話が残され、人々は帝国陸軍に勝つのは伏見の酒だけだとはやしたてたという。

伏見へのアクセス
伏見桃山へはJR奈良線、京阪本線、近鉄京都線を利用すると便利。
■京都駅からJR奈良線で桃山駅まで11分。
■近鉄京都駅から近鉄京都線急行で伏見桃山御陵前駅まで11分。
■三条駅から京阪本線特急で丹波橋まで10分、普通に乗換1分で伏見桃山駅。
■大阪・淀屋橋駅から京阪本線特行で中書島駅まで35分。
■大和西大寺駅から近鉄京都線急行で桃山御陵前駅まで29分。
■地下鉄烏丸線各駅から急行近鉄奈良駅行き(竹田駅乗換)で桃山御陵前駅下車。
※伏見大手筋商店街東口すぐに京阪伏見桃山駅があり、近鉄桃山御陵前駅へは東へ約100mの距離、JR桃山駅へは東へ約600m。